隠居の独り言 46

毎年、夏が来れば先の大戦と負けた悔しさが思い出される。昭和天皇A級戦犯靖国合祀に関して発言されたメモが見つかったという。その中で松岡洋右白鳥敏夫の二人が名指しされていたようだが、昭和天皇昭和15年9月に締結された日独伊三国同盟が相当にお嫌だったのだろう。皇太子時代にイギリスとアメリカを訪問されて両国に対し親近感を持たれていただけに、当時から独伊との同盟に危惧を抱かれて、これを強固に推進した松岡と白鳥には不信感を持たれた事は多くの史料で明らかにされている。戦前の明治憲法の上では天皇に陸海軍の統帥権があり御前会議で強く反対されたら三国同盟は結ばれなかった。松岡洋右は、日本を国際連盟から脱退させた経歴もあり今にして思えば、御前会議が戦争への大きな分岐点で昭和天皇のお考えは実に正しかったと言えるけれども、大事な日本の舵取りを愚臣たちに任せてしまったのはかえすがえす残念だ。天皇の政治的ご発言は慎まれ昭和史の渦中に入らなかったのは良かったのかどうか後の歴史家が判断するだろう。ところで案の定というか中国や韓国それにA級戦犯分祀論者やマスメディアが、このメモをたてに首相の靖国神社参拝の反対を叫ぶがそれではその連中が普段から、昭和天皇をそれほどに敬愛していたのだろうか。勝手な時だけ天皇を利用したシタリ顔は情けない。メモはメモだけで公式の文書でも何ものでもない。そもそも今の時期になって発表されて、人の目に触れることが昭和天皇のお心に叶うだろうか。なにか取引めいた裏面があるような気がしてならない。もし公式文書だったら天皇も戦犯を問われたことだろう。当時の日本は愚か者が愚を重ねて戦争へと突き進み、日本は奈落の底に落ちていき、今なお後遺症に悩む。けれど祖父や父たちの仕出かした事を責める資格があるのだろうか。反省は罠にはめられないことと思う。当時に生きた一人として昭和天皇のご苦労を偲ぶ。