隠居の独り言 77

9月になって朝晩が涼しくなったが人間なんて勝手なもので暑い夏の日は早く涼しくならないかと願ったのに秋になるとエネルギッシュな夏の日を懐かしむ。横網公園の蝉時雨もフィナーレにミンミン蝉が夏も終わりだよ、秋が来たよ、と知らせてくれ、今年の異常な天候の夏は終わった気がする。季節の移ろいはボクたちの感傷には一切お構い無しだが人間は一応は感情動物だから気温が下がればなんとなく淋しくも哀しくも過ぎし夏を思い芸術の秋を思うのは心の常。人類がこの世に出現し芸術の始まりは秋だったのだろうか。ギターを始めてしばらく経つが夏に弾くのと秋に弾くのでは何となく音色が違うよう聴こえるのは季節が取り持つ感覚の移ろいなのだろう。55歳になってクラシックギターを習うべく村治昇ギター教室の門をたたいたがボクは良き生徒でなく先生の教えから外れていつの日か弾き語りを好んでいた。クラシックからは邪道だろうが、自分流でいいと思っている。弾き語りはギターの練習の他に、歌の勉強も同時であって思ったよりも難しく一曲を仕上げるのに相当時間が掛かる。ボクはラテンやカンツオーネが好きなので、言語の発音の練習や、ときどき曲によって作詞や訳詞して楽しんでいる。今、エストレリータの弾き語りに挑んでいるが、結構難しい。自分なりのオリジナルを造る苦労も多々あるがそれだけに完成した時の喜びは譬えようがなく、自己満足だが一曲を仕上げるのも人生の一里塚と自己流弾き語りに託している。ヴェルレーヌ「秋の日のヴィオロンのためいき」の詩のよう、ボクなりに秋の夜長の感傷に浸りたい。