隠居の独り言 104

「ふるさとへ廻る六部(巡礼)は気の弱り」好きな古川柳で、人生の喜びや悲しみを、どんなにたくさん経験を積んでも心の拠りどころは生まれ育ったふるさとであり父母であり、全ての人が持っている帰巣本能はその人だけの故郷・・歳を重ねてこの川柳の意味と気持ちが痛いほどわかる。ボクは大阪で生まれの姫路で育ったので何日かの旅を楽しむには一番に関西地方を選んでしまう。いわゆるセンチメンタルジャーニーで関西弁の渦の中にいれば心安らぐのも脳幹にびっしり郷が張り付いているから・ただボクが持ち続けている郷愁は終生変わらなくても、変貌する景色、町の雰囲気、出会う人々、言葉の変化、それと関西人特有の人情味が失われていくのが淋しい。関西は古い昔の神社仏閣の歴史的建造物が多いが、最近はどこでも拝観料なるものを払わないと入れない。今は世界遺産の姫路城も子供の頃は自由に入れたし木に登って虫を捕まえたり、城の堀で釣りをするのも子供たちの楽しみの一つだった。今は良き思い出・・・京都・奈良のお寺も戦後間もなくは拝観無料だったが、やがて「ご芳志」という名目の対価として暗黙のうちに拝観有料となり、今では神社仏閣や城跡のブランドの有名度によって価格の設定がついている気がする。宗教施設が聖域といっても人間社会の市場原理には例外はない。中には賽銭箱の横でオミクジまで売って、それも稼ぎの一つで神社仏閣も施設を維持するため財政健全の手段として商売の方法でやらざるをえない。話しがそれた。家族連れの旅行は何かと物入りだが、これも健康があっての物種で、健康息災、家内安全、学業成就、商売繁盛、願いごとには限りがないけれど神社仏閣詣ではボクの巡礼の旅でもある。