隠居の独り言 107

初恋という言葉は幾つになっても懐かしい甘い思い出に胸がときめく。某新聞の地方版で微笑ましい記事を見た。今年は伊藤左千夫の代表作「野菊の墓」が発表されて120年にあたるそうだが、小説の舞台になった場所の松戸市の風致保存会が「初恋短歌大会」を開催した。「おはようと 挨拶してる 夢を見た。これがほんとになればいいのに」一等賞の6年生の男子生徒の句だが的を得ている。「おはよう」なんて好きな相手とても言えたものじゃない。恥ずかしさが先走る。口が出なくて心臓の鼓動ばかりで悶々とした純真さは、あの頃を見るようで懐かしい。「なんでかな 言えない言葉 二文字だけ ほかは何でも言いあえるのに」その二文字の「好き」と言える年齢になる時分は川に例えれば澄み切った上流を過ぎて水が濁ってきた中流の場所だろうか。「野菊の墓」は15歳の政夫と2歳年上の従妹、民子との悲恋の物語だが、民子は別の男と所帯を持って苦労の末、病死するが政夫は民子を野菊に譬える。ボクの初恋は小学校高学年のとき同級生のAに憧れて毎日のよう手紙を書いては破り捨てていた。手渡すのが怖かった。ある日のこと、心に決めて朝早く登校してA子の机に忍ばせた。ときめきは年老いた今でも鮮明に思い出す。バイロンやハイネの詩を日々読み漁った純真な文学少年だった。初恋は大抵は結ばれないものでだからこそ美しい思い出が残る。人生は「川の流れ」に似ている。川は清らかな湧き水に始まり濁りを重ねて大きくなり滔々と流れやがて終点の海へとたどる。出来れば帰りたい。あの清純だった初恋時代に・・