隠居の独り言 127

今年のプロ野球ソフトバンクの優勝で終わりを告げたが、工藤監督が胴上げで宙を舞っても遠い世界に見えてしまう。根っからの阪神ファンだが、今年もファンの期待を裏切った。夏頃には3位にいたのに、それも束の間でずるずる連敗を重ね、いつの間にか最下位に落ちる情けなさは毎年の例だ。想像の範囲で、野球ファンの数は巨人の次に多いと思うが、タイガースにかける熱烈度は他のチームの追従を許さない。甲子園はもとより他球場でも阪神ファンの凄い応援ぶりは、なりふり構わないほどで帽子、ユフォーム、諸々のグッズも巨人始め他チームのグッズより圧倒的に売れているという。今年は球団創設83周年。けれども日本シリーズで優勝を果たしたのはなんと一回だけで1985年、吉田義男監督が胴上げされたが、あれから33年、それでもファンを続ける。来シーズンも阪神日本シリーズ優勝確率は殆ど無いが、それでも一厘の夢だけでも残したい。ボクはもう若くない。若くないどころか有限の時間が無いのに今年も失望した。ここまでくると阪神は永遠の恋人のようで幾つになっても拘るのは弱いチームに対して寛容さを持ち続けるという自覚があるからだろう。そのところが阪神ファンの本音で負けても負けても離れらない情愛めいたものが含まれる。明けて阪神、暮れて阪神、ここまでくると信仰的ファンは阪神教信者ともいえる。阪神球団創設は昭和10年阪神電鉄が「宣伝広告塔」のような形で名乗りを上げた。読売新聞の巨人に次いで日本で二番目に古い球団で、それだけ古くて裾野の広いファンがいるということだが、育った関西では其の頃から阪神ファンが圧倒的だった。野球の言葉は明治の俳人正岡子規が名付けたという。発祥地はアメリカだがアメリカと戦争中でも野球だけは愛好者は絶えなかった。あの敗戦直後の荒廃の中でも子供たちは野球に夢中で、真に野球を信じ愛したという確信が少年の胸中に溢れた。物のない時代、ボールは手縫いだったしグローブもバットも町のおじさんが作った。チームが9人に限らず不自由なくルールを変え遊んだ。少年たちの夢は花形選手の藤村、別当、土井垣だった。あれから80年が経ったが、少年の夢は今も終わらない。野球ファンは有難いもので贔屓チームが勝った負けたで一日の気分が上下する。そしてこれからストーブリーグは生きるのを忘れた漂流者のように男たちは言葉を失くす。男の夢。たかが野球、されど野球だが・・・