隠居の独り言 133

NHK出版に「60歳のラブレター」という本がある。夫から妻へ、妻から夫への手紙の特集で、長年暮らした夫婦の様々な生活、愛情、葛藤の手紙を読むと心に染みる。その中の一通から・・「結婚生活よりも長い別離、たった一度の浮気を許せなかった。信じていた。ショックだった。浮気を除けば申し分ない人なのに・毎月生活費を届けてくれてありがとう。おかげ様で子供たちは子の親となり幸福に暮らしています。もう17年前のことは全部忘れました。といえばうそになるが、女性の名前だけはしっかり覚えていますよ。生まれ変わって、もう一度あなたと結婚したい。私も強くなりました。浮気の一つや二つ目をつぶってやりたいが、やっぱり浮気はだめです。定年まであと7年くれぐれも身体に気をつけてお励みください」この夫婦の後日談は書かれてない。手紙を読んで男と女、互いの感性が大きくすれ違ってしまった現代のモラル感を思う。昔は妾を持つのは男の甲斐性とされ妻も世間も認めていた時代があり、公娼制度は厳然とあった。結婚式で神父の前で愛を誓っても男女の感性は変わらない。浮気を肯定するものでないけれど、たった一度の過ちさえも許せない現代の女性の潔白感とは果たしてこれでいいのか。男と女のサガの違い、実社会での倫理観を見つめてみたい。妻は自分を選んでくれた夫に心を込めて愛してきただろうか。17年間に亘り、ずっと生活費を送り続けた男の誠意に対し、むしろ同情が沸くのは自分だけだろうか。葛藤は分からない。人生に過ちはつきもの、二度と過ちをしてはいけないけれど水に流すのも人情味で、この夫婦の結婚は幸せと云えない。この広い世の中で、ふと巡りあった男と女が趣味も考え方も、ぴたりと一致することはありえない。ところが男女が一緒に暮らすことで両者の間に共通の経験がうまれ無言の和解が積み重なって「花一輪」に心の重なりあう場面が生まれる。縁は作るもの。けっして相手のせいではない。