隠居の独り言 134

雑誌やFacebookでペットの犬猫が殺処分される直前の写真を見ると胸が痛むがペットにもそれぞれの命があり、生きる権利を人間の都合で奪われるとは何と残酷だろう。といって全てのペットを救うには諸費用、引受先がないと無理だが、何故ここまで放置をしたのか。ペットはあくまで人が育てたもので全責任を持つことを心したいと切に思う。今では犬や猫はペットだが、戦後辺りまではペットでなく家畜として飼われていた。わが家にも犬も猫もいたけれど、犬はとても利口で家の留守番役として、見知らぬ人に吠え知人には尾を振った。鶏小屋で鶏を狙うイタチの対策にも大いに役立って、夜になると必ず鶏小屋の前で寝ていた。当時は食料不足で犬の餌は食べ残しの魚の骨や貝殻の他に特に無かったけれど近所の畑で虫など捕らえていた。当時の犬は首輪を付けられることはなく自由に行動して、その点では今の犬より幸せだったろう。犬たちの恋愛も恥じることなく、おおっぴらにしていた。しかし野犬も多く狂犬病や子供に危険なので時々役所の人が捕らえにきた。猫は自由気ままに暮らしていたが、猫の大切な役目は天井にいる鼠を捕らえることで、鼠は衛生面、経済面でタチが悪く、猫のお陰で快適な暮らしができる。そのうえ猫は鼠を食べるので餌の心配ない。しかし猫は残虐で生きた鼠をさんざんいたぶって殺すのは見ていられない。愛らしい猫も、その一面は人間社会にも存在すると思う。色々と思い出多い犬猫との暮らしだったが今は事情で飼えないのは仕事面と孫一人が動物アレルギーのため・犬猫にとって今昔どちらが幸せか、彼らから答えがない。