隠居の独り言 137

時々、用や遊びで関西に行く。ボクは一応大阪生まれなので関西人と話しても言葉の違和感はないが交通機関や地名で東京と違うところ多い。エスカレータには東京は左側に寄るが、大阪は右側に立って急ぐ人は左側を駆け上がる。東京は反対。駅名も「日本橋」を大阪はニッポンバシ、東京はニホンバシで「本町」を大阪はホンマチ、東京はホンチョウ。「京橋」大阪はキョウにアクセント付けるが東京はアクセントなく平らに読む。大阪は地名を略し上本町六丁目を「上六」。天神橋六丁目を「天六」に呼んでいる。傑作なのは日本橋一丁目の「日本一」東京銀座四丁目を「銀四」でなく青山一丁目を「青一」でない。電車のカードも東京はスイカで大阪はイコカ。味があっていい。車内に「チカン、アカン」の張り紙があった。東京では真面目に「痴漢は犯罪です」ご尤も過ぎる。東京人は言葉に余裕がない。夫婦喧嘩も東京の人は「バカヤロー」で始まるが、大阪の人は「アンタアホカイナ」で大抵収まる。喧嘩も「テメー、コノヤロウ」東京は威勢だけはいいが、大阪は「オッサン、イテモタロカ」と静かな言葉の中に凄みがある。病院でも医師に東京の人は「ここが痛くて」と表現があいまいで先生も困るが大阪の人は「先生、ウジウジとここが痛痒いねん」と病状を的確に伝える。食事した後も東京人は「美味しかった」の一言で済ませるが大阪人は「めっちゃ、美味しいねん」と表現がとても上手い。親を東京は「オヤジ、オフクロ」だが大阪は「オトー、オカン」大阪は言葉が温かいし、実際に暮らしても親切な人が多く子供の頃が懐かしい。「大阪で生まれた女」の歌は好きだが「東京へはようついていかん」の歌詞は大阪人気質だろう。ボクは大阪に生まれ10年、戦時中は福島に疎開で3年、戦後は姫路で2年、その後は江戸暮らしで長らく江戸弁で生活しているが、今でも昔、住んでいた土地に旅をすれば即、現地弁で喋れるのは脳の中にインプットされた細胞が蘇って言葉が馴染む。お別れも関西は「ほんな、さいなら」東北では「そんじゃ、あばなー」訛りとは伝統そのものでその土地々々に合った自然、気候、風俗、人情、習慣が混じりあって言葉が形成された訛りは無形文化財と思う。今は標準語が行き渡り「ふる里の訛り懐かし停車場の」啄木の詩は死語になった。明治時代に首都が京都から東京に移り全国共通の統一された標準語が必要になり江戸の山の手言葉が主体となって作成され、教科書やラジオ等の報道機関の普及により全国に広まったという。歴史にイフはないが、明治時代に首都移転が無ければ今の標準語は当然に京都主体の平安京1200年伝統の深みある関西言葉になったはずで日本語を豊かにした。明治政府はもったいないことをした。