隠居の独り言 139

落語は好きだが寄席に入ったのは数回だけで多くを語れない。最後に行ったのは10年前で、立川談志の寄席が最後になる。談志が滅法好きで、若い頃はミシンを踏みながら聞いてもので当時から立川談志は独特の話し方で落語界の風雲児だった。2011年11月21日に亡くなったから今日21日が命日になる。「談志が死んだ」生前から俺が死んだら新聞の見出しは上から読んでも下から読んでもダンシガシンダと書くといいよと記者に語ったという。自ら決めた戒名も「立川雲黒斉家元勝手居士」も書体はもっともらしいが実際に声を出して読むと噴出してしまう。談志の最期まで洒落て旅立った見事な生き様に拍手をしたい。絶品だった「芝浜」を生の声で聴けないが歳末の風物詩だった。しっかりものの女房のおかげで立ち直った魚屋「魚勝」の話だが酒飲みで怠け者の魚勝は朝早く女房に起こされて芝浜に行くが時刻を間違えて魚河岸はまだ開いていない。海岸で夜明けを待っていると大金のはいった財布が落ちていた。これで遊んで暮らせると、つい遊んで寝てしまったが、翌朝女房に起こされて大金の事は夢の話にされる。心を入れ替え商売に励んだ結果、三年目で魚勝は立ち直った。大晦日の夜、魚勝は女房に向い「昔っから女房と畳は新しい方がいい」と言いかけ口をつぐみ「古い方がいいけどよ」とあわててごまかすくだりが逸品だった。亡き談志の話しっぷりを想う。放送禁止用語も、へっちゃらで談志一流のブラックな言葉が次々とその場で言いたい放題に溢れ出ていたのも天才落語家の一人として今も尊敬している。帰宅途中の車で聴いたラジオの「話の泉」の楽しみも消えたが言葉のレパートリーが豊富で真面目な話から毒舌まで咄嗟にアレンジして人を魅了する談志の名人芸はもう不世出だろう。「笑点」の創始者で今なお人気が続く座布団のアイディアは昔の牢屋の牢名主からヒントを得たとか・・無形文化財的な昭和の語り手だった談志、今は物事をはっきり本音で話せる咄家は少なくなっている。談志の落語家として以って瞑すべし。談志と面識無いが喪中葉書を頂いた気がしてならない。合掌。