隠居の独り言 141

朝夕電車で通勤しているが乗客の猫も杓子もスマホに夢中で周囲の人のことにはまるで無関心で、例え車掌の車内放送で「優先席付近での携帯の電源をお切りください」の注意勧告も知らん顔でスマホから目を離さない。今のスマホ漬けになった大人や若者の未来像を考えると暗澹となる。ゲーム、ビデオ、スマホといったパーチャルメディアに子供の頃から嵌りこむと自分の周りの世界がボタン一つで操作できる錯覚が起きて人間の基礎である感情のきめ細かさ、人情が未発達になり人間形成として歪みが生じる。優先席に座る若者や大人は席を必要とする年寄り、障害者、妊婦が来ても席を譲らない。常識からいえば、他者の痛みを思いやる優しさなど家庭や学校で教わったと思うが、それとも、だらしない親の日常で育った未熟児だろうか。そんな人間が最近多くなっている。柳田邦男の著書によれば、ある学校で子供が校庭の石を投げて窓ガラスを割った。当然に子供は先生に叱られた。ところが翌日、子供の親から学校に電話が掛かってきた。「大体、校庭に石ころがあるのが悪い。石ころがあれば子供が投げるのは当たり前で子供を叱る前に石ころを片付けるべきだ」記事を見て暗然となる。親の一部だがここまで自己中心的な反応の凄さに驚くと共にこの親に育てられた子が可哀想だ。普通の子供なら川原などで石ころを投げて遊ぶだろう。でも遊ぶとガラスを割るは本質が違う。どこの校庭に石ころがあるのは当然だし窓ガラスを割る子は異常であり器物破損という犯罪だ。「クラスの記念写真でうちの子を端にしたのはどうして」「給食後に子供にご馳走さまと言わせるのはおかしい。給食費払っているのだから」「うちの子は箱入り娘だから○○とは遊ばせないで」自分勝手な親の意見はキリない。現在の親世代は2000年代あたりの高度経済成長期に生まれた世代で、モノ・カネが豊かになる時代に生まれ、その時代の親も、生活水準を上げようと必死に働いて子を「いい大学・いい就職」目指し「お受験熱」ばかりで肝心の道徳教育を忘れ日教組の「ゆとり教育」がある。「ゆとり教育」とは却って受験競争を煽る結果になる。受験に勝ち抜くためには他人のことは考えられない。そして悪いことにバブル崩壊、会社倒産など、生きる自分勝手な生存競争意識は親→子へと伝わっていく。自分さえよければ人はどうでもいい。こうして長い間に積み重ねた日本人特有の優しさ、きめ細かさの美学が壊れていった。今までの常識なら考えられないイジメ、DV、ストーカー、性犯罪が蔓延る。誰が悪いのでなく、みんなが自己中心過ぎる。