隠居の独り言 147

ストーカー事件が後を絶たない。事件を聞く度に今の男女の別れ方がものすごく下手で野暮になっているとしか思えない。男と女が恋愛を始める。でもいつまでも愛が変わらないのに越したことはないが、初めは好感を抱いても付き合うほどに相手の気付かなかった欠点が見えるのは当然の成り行きだ。しかし互いの未熟さが分かっただけでも大きな二人の進歩で、けっして男女のわがままじゃない。たとえ恋愛が結婚に発展し教会の神父様に「その健やかなときも病めるときも」と誓っても言葉の遊びに過ぎないことは、大抵の夫婦像を見ればわかる。時間の経過で心が変化することは恋愛に限らず離合集散は生きるための進化であり、人はそうして歴史を繰り返してきた。最近の若者はすごく短絡的で刹那的で、すぐに愛欲に走る。「男には愛は生活の一部だが、女には愛はその全部である」バイロンの言葉は、男心と女心の的を射ているが、お互いが愛情を尊重しなければ誤解したままで人生を終えてしまう。ストーカーは今に始まったことでない。大正時代には作家・近松秋江も惚れた芸妓を追いかけ、それを「黒髪」[狂乱]の小説に書き有名になった。横恋慕の姦通事件で投獄された北原白秋、多くの愛人を持って最後は自殺した芥川龍之介、妻を佐藤春夫に譲った谷崎潤一郎、姪を妊娠させた島崎藤村、人妻と心中した有島武朗、二度も姦通事件を起した志賀直哉夏目漱石の不義密通、竹久夢二の女性遍歴、等々錚々たる日本文壇の巨匠たちに横恋慕やストーカー履歴があるのは、どんな立派な人も理性を失うのは誰も持つ人間の性なのか?世間が便利になった分、人の心は乾燥したものになっていく。以前は家族、隣近所の触れ合いから付き合いの学習をした。義理人情を肌で知り、反面に妬みや憎しみも自然に覚えた。若すぎる恋愛は御法度だったが、世話好きな仲人さんは、どの街にも点在して両家の親の了解のもとで責任をもって仲を取りもつ人情味溢れるおばさんが大勢いた時代だった。今の男女の出会いはSNSやFBなどの普及で驚くほどに気軽になり知り合えばLINEで二人だけの狭い世界を作る。簡単に交際が始められる分、簡単に別れることが出来ない。でも相手が冷めたとき勝手な男は脅かすことしか考えない。愛のある別れはとても辛いが、別れを別れと、見極めよう。男と女は一旦切れたら再来の呼び戻しは、もうありえない。去る者は追わず、理性を磨くことの大切さを強く勧めたい。ストーカー行為は時間の無駄で次のステップに臨みたい。愛に破れ、人生まで破れたと思いこむのが最もいけない。今、ストーカーをしている君に言いたい!君の人生にはもっと、ふさわしい人が待っている。