隠居の独り言 154

渡辺淳一の「孤舟」を読んだ。多分平均的であろう定年後の夫婦の生活を描いたものだが、ポイントは男という生き物は女子供のために働くのが本来の姿であり職を閉じて定年になると収入は減り、そのうえ家に居続け家族との対話も無く、朝昼晩「オイ、メシ」で食事し、家事を手伝えば勝手も知らずかえって手間がかかる産業廃棄物的な存在になっている。といって今更別れる度胸もスタミナも無く、惰性に流される空しい夫婦の物語。ウン十年前燃えるような恋愛を経験し結婚式のとき教会の赤い絨毯歩き神父さんと両親の前で「病めるときも健やかなときも」感激はどこへいったのか?そもそも人間も含めて生物の雄は哀れなものでオットセイやライオンの雄も大勢の雌を従えてハーレムを作っているが、一見幸せそうでも強烈なライバルが現れて戦って負けると追い出されてしまう。今まで雌が取った餌を食べていたから、一頭で食べることもままならず飢え死にの末路が待っている。カマキリの雄は巡り合えた雌との交尾中に食べられてしまう哀れさだが恋の成就に命を捧げたのだから雄は幸せだろう。蛙の世界は雌1匹に雄10匹の女ヒデリだから雄たちにとり並大抵の苦労が忍ばれる。そこへくると人間は繁殖期という「定年」が過ぎてもまだ人生の半分で「用」済んだ定年夫婦が神父さんに誓ったように老後を仲良く連れ添うのは容易でなく、それぞれが、よほどの忍耐と苦労が要求されるのは当然だ。でもこれからは男女雇用平等の時代であり勤労女性の地位が当たり前になり、男が女子供を養う観念そのものが薄らげば「孤舟」の形も変わるだろう。元総理・吉田茂の秘書官だった白洲次郎は生涯に亘り、妻正子と仲が良かった評判だったが晩年になって、白洲は夫婦円満の秘訣を新聞記者に尋ねられ「一緒にいないことだよ」と語ったという。これは言いえて妙!それぞれ仕事を持ち、それぞれ趣味を持って尊敬の念を持つ。それも中途半端でなく精を込めて・・白洲夫婦を見習いたい。人間は生涯に亘って働くことを忘れてはならないと思う。