隠居の独り言 156

それにしても世の中、便利になり世界も小さくなったものだ。思えば一昔前は海外へ旅行するときは友人や親戚縁者が集まって壮行会などして旅の無事と成功を祈ったものだった。ウン十年前に、姫路の叔父がユネスコの委員をしていたとき「姫路城の世界遺産登録」でニューヨークの国連へ出張の際、親戚縁者が集まって叔父の業績と壮行を喜び激励した反面、旅の不安で縁者は異口同音に「気をつけて・」を付け加えた。それほど世界の旅は未知で待つ者には心配が付きまとった。だが昨今では国内旅行の感覚で気軽に成田から飛んでいく。先月友人が地球の向こう側へ旅をした。元ドイツ大使館員でヨーロッパ各地へ観光旅行、旅行はどこも同じと彼は笑った。でも便利になった反面、遠い海外への旅行に出かける際に、詩情のない無味乾燥なものになっている気がしてならない。遠くへ旅立つときの別れの場所は駅のプラットホームだった。ボクが14歳で初めて上京した際も父母や兄弟、友人たちが見送りデッキからみんなの姿が見えなくなるまで手を振った。今も二葉あき子の「夜のプラットホーム」を聞くと胸が熱くなる。思えば汽車のデッキは危険なので無くなるのは仕方ないが一抹の寂寥感を覚える。今では親しい人が遠い処に旅たつ別れのシーンは駅のホームから飛行場へと変わっていった。昔の映画を思い出し「旅情」「終着駅」「昼下がりの情事」のラストシーンは最後の抱擁のあと、機関車が徐々に動き出し、それとともに愛する人は小走りに列車を追うのがパターンでそれらは駅のプラットホームと蒸気機関車の発車の汽笛と滑り出しの動作が相まって始めて成立するシーンであって哀愁のシーンは交通機関の発達とともに無くなっていった。駅だけでなく「シェーン」のラストシーンも忘れ難い。乗馬で去っていく主人公に少年がシェーン!と叫びながら後を追う映像に「遥かなる山の呼び声」の主題歌がBGMに流れるが憎いほど素晴らしい。そんな情緒溢れる昔の別れのシーンも時が経つほどに記憶も消えていくだろう。便利さは重宝だがそれに反比例して人々の気持ちは貧しいものなっていく・・20-21世紀の文明の進歩と情緒の変遷を体験し今を生きた我が人生に感謝している。