隠居の独り言 158

師走。年の瀬。12月だからって時間が短くなったわけでない。一年365日。12ヶ月。そのうちの12分の1なのに、何故か気持ちばかりが忙しい。地球誕生以来、毎年、毎月、毎日と時間は流れゆく。年末にマスコミは「今年の十大ニュース」を発表するがこれも師走の歳時記で今年の出来事を思い出す。東京の暮れの行事も忙しい。酉の市から、浅草寺の煤払い、泉岳寺・吉良邸の義士祭、世田谷のぼろ市、浅草羽子板市、西新井大師御朱印、クリスマス、除夜の鐘まで歳時記続く。一年が過ぎたからって解るのは今現在生きているということ。年月日時の区切りを律儀な人間が決めたが時は確実に過ぎ、人は確実に老いていく。悠久の宇宙の時間は止まらないが人生には終末が待っている。いつか草葉の陰に身を寄せる。円周率が割り切れないよう人生も割り切れないから面白い。何もかも未来が分かってしまうのも味気ないが、来年86歳。人生は有限だから来年の年の瀬を迎えられる保証はない。歳月は取り戻すことが出来ないが、今は今年も無事生きてこられたことに感謝したい。今年の自己決算書は普通だが、これからは、進歩よりも培われたものを大切に保つのが晩年の勤めと思う。仕事の合間にギター弾き語りを楽しみ今はブログの文章をまとめている。時間には翻弄されず、今この瞬間に乾杯したい。生きる感謝はしてもしきれない。現在は八十路を歩んでいるが独立した頃、骨身惜しまず休日も関係なく働き続けたウン十年間の自分が懐かしい。人さまがなんと評価しようが自分の人生は自分のもの、自分の人生を納得できれば、これ以上の幸せはない。いつの年か、紅葉が舞い散る晩秋に終わりたいと願う。「余生とは かく美しき 冬紅葉」 高木晴子