隠居の独り言 160

昔の歳末の玄関の飾りはお正月の松や竹と決まっていたが、昨今ではクリスマスの習慣の方が大きく広まった気がする。欧米はキリスト教という大筋があって、それに対する異端は少数派だが日本人は唯一不可侵の宗教的権威が無いからクリスマスにはキリスト教徒で、除夜の鐘を聞けば仏教徒、年が明ければ初詣の新道と、巡るましく忙しい無信心者で、そういうボクも宗教に関して実にアバウトで年が明けてから神社巡りの初詣に出かけるが、何故その処に神社があって何故祀ってあるかを考えもしないし神様の御神体の尊名もとくに知ろうと思わない。考えるよりも大昔からその場所に神社があったと捉える。神社とはそういうものなのだろう。たしかに宗教施設に違いないが、宗教とは思わないのは昔からある古い歴史施設としての清らかな印象のほうが強いと感じているからと思う。新興宗教になじめないのは伝統と厳かが無いからで、古い神社に歴史の厳かがあり沁みついている感じは旅先でも境内に足を踏み入れると気持ちが和み、心静まるのは清らかさがそこに存在する。無宗教で罰当たりのボクでも、讃美歌を歌えば身も心も洗われる気分だし、坊主の経典を聞けば仏に神妙になり、さりとて社を敬う信心は持っている。日本人は宗教に対し、いい加減と思えばそれまでだが日本人のおおらかさだろう。街はクリスマス商戦で活気を呈しているし神社は破魔矢や御札作りで忙しい。日本は多くの神々が住み仲良く共存し、その姿を全世界に反映して欲しい。某彫刻家の話では神社の狛犬の彫刻の正面はぬかりなく作ってあるけど後ろ側を見ると何か抜けたところが多いという・・宗教そのものも後ろ姿は案外、味わいがあるのでは・・