隠居の独り言 166

この頃は、どの家も何冊ものアルバムがあって家族の歴史が記録されている。その他PCやスマホに保管されどの時代の写真も即見られるようになっている。文明の発達は素晴らしい。昭和初期のカメラは貴重品で持っている人は滅多になかった。例え家にあってもフィルムや現像代が高価で気軽に撮れない。わが家に当然カメラは無かったが、ボクの写真は赤子のとき写真屋で撮った一枚と、5年後に家族の記念写真から一枚、その後は戦争だったから、幼年時代の写真は皆無で寂しい。子供の頃の記憶の頼りは写真なのに映像のない空白期間が、あまりにも長すぎて人生の初期の走馬灯の映像は消えている。思い出というのは何もかも懐かしく美しく蘇るものでないのは美しい思い出と同じく過酷な経験も同じ数が残っているからで転校生で苛められ家に言えず一人で泣いた少年も何時しらず記憶から遠ざかるが、時々蘇るのは頭の片隅から離れない。戦時中は大阪から福島県白河に疎開したけれど戦争末期に、三陸沖に停泊していた米空母から毎日のように米戦闘機がサイパンから来た米爆撃機B29の護衛のために白河上空を飛来し機銃掃射の恐怖に住民は森へと逃げたのは忘れない。しかし戦後の少年の思い出の最大は飢餓の体験に尽きる。農家でなかったので米を食べること叶わず何でも口にした。雑草を食べたことも、虫を丸呑みしたことも、鶏を絞め調理したことも、夜間に人の畑で芋や野菜を盗んだことも、思えば非常識なことだが食べる本能は人間の最たる欲望であり、空腹に口に入るものは何でもよかった。有難いことに日本の自然の四季は野や山に果実があり、海や川に貝がいた。今と違って衛生も悪かったが考えれば細菌からの免疫機能が備わって今の花粉症やアレルギーなど聞いたことがなかったし、現代の子供は肉が食卓に上がる過程は大人も含め知らない。今の子供は生きたトカゲやヘビを見るとキャーと奇声あげるが、蛇らも地球で暮らしている我々と同世代を生きる生物仲間で、まして生きる動植物を食べなければ人間は生きられないから生物を大事にしないといけない。まして食べ物の好き嫌いは宗教的な理由は別にしても、偏食、食べ残し、食品を捨てる、昔は考えられなかった食の冒涜に、きっと天罰が下るだろう。あれから数十年が経ち、惨めなことは忘れようと努めている。そして戦争、飢餓、貧乏、失恋、ボクの人生から断捨離したい。