隠居の独り言 167

今年も間もなく終りで、来年には歳を取らなくてはならない。取りたくないと思っても、取らなくてならないのが世の定め。歳とは、未知の世界を歩むことで、本来なら祝福ものだが八十路とは山の尾根道のようで、滑落の危険が付きまとう。齢を重ねると心が僻みっぽくなり人を困らせることも多いが、そこは大目に見て欲しい。若い人からは年寄りの気苦労を察することなく邪魔者扱いをするが将来、君たちもそうなる。息子を装った詐欺に遭う年寄りは、しっかりしたつもりでも騙される被害は痕を絶たない。9月に駅の階段を踏み外し顎6針を縫い肩打撲の怪我をしたが全治一か月を要した。若ければ治りも早いが、情けないが身体は歳に勝てない。機械の部品が古くなれば傷むように、人間の部品も同じで老人の身体の衰えは必至で老々介護の試練も覚悟しよう。失うことが老いの形であり歳のことは言いたくなかったが、来年は86になる。といってどうすればいいか分からない。幸いにも最近の人間ドックの結果は殆ど健康体だったが、だからって寿命に関係ない。誰も、お迎えは100%だから、その最期まで健康の神さまとお付き合いを願っている。齢を重ねるごとに友人が減っていく。喪中葉書が増えて年賀状の数も減っていく。或いは「永遠の別れ」の友も、或いは「去るもの日々に疎し」の友も、時は非情なもの。最近までは年齢とは単なる符丁みたいに思っていたが、世の中は許してくれないし、人を頼りにしてはいけない。最近とみに報道される老人のウツ、痴呆、介護、孤独死、他人事じゃない。老人言葉は「どっこいしょ」「面倒くさい」そして「歳だから」という言い訳もみっともないからしない。命は神からの預かりもので必ずお返ししなくてならないが、男一匹、最後まで美学を持ちたい!