隠居の独り言 170

出来る限り独り言を続けたいと願う。スイスの哲学者アミエルは著書の中で「生きるということは日ごとに快癒し、新しくなること、また自分を再び見出し回復する。日記を綴るのは孤独なものの友であり、慰め手であり、医者である」幾つになっても日ごとに新しくなるという精神のエネルギーに満ち溢れているのがいい。医学用語に「フレイル」がある。加齢と共に心身の活力、つまり運動機能や認知機能が低下し複数の慢性疾患の併存などの影響もあり生活の機能が障害され心身の脆弱性の状態をいう。フレイルを遅らせるには中高年辺りから運動、食事、睡眠など規則正しい生活習慣を心掛けるのはいまさら言うまでもないが、それでも齢を重ねれば体が衰え皺が増え、みすぼらしくなる。鏡でどんなに繕っても、そこには老いた顔という物質しかない。それは皮膚と肉と骨の衰えた集合体だが心の内は映らない。「風貌」という言葉は顔という物質+人生を如何に生きたか・仕事や稽古一途に生きている人の顔に年齢は感じられない。肉体の一部の顔ではなく眼に光がある。口元が切れている。人から見ても稽古一途が作っている姿格好はとても美しい。顔は齢でなく風貌であり「あの人、いい顔ね」と誰もが認める。年の初めに感じるのは、年齢は一年毎に増えても気持ちは、いつも甦りたいと願っている。作家・曽野綾子は「たまゆら」という題名の小説を書いている。「たまゆらの恋」ともいうけれど毎日電話を掛けあい休日は指を絡めて散策する恋ではない。一口にいえば思いだけが残って、永遠に実現しない恋のこと、いわゆる「忍ぶ恋」であり恋の中でも最高の恋と言う人もいる。古今東西、名を成した芸術家の殆ど「たまゆらの恋」を体験し名品を残している。ショパンのピアノも、ダビンチのモナリザも、西鶴浄瑠璃も「たまゆら」から生まれ後世の我々が感動する。「たまゆら」は未完の美学だが人生もたいていは未完のままで終わってしまう。人間が200-300年も生きると殆ど分かるから神さまは人の寿命を100年未満とした。でもそれでいいと思う。未練が残るのが人生の妙味で、完成に向かう夢があってこそ、歩くことができる。今年も歩みが遅くも明日を目指して歩きたい。