隠居の独り言(485)

今年から後期高齢者だが昔からみれば随分と長生きをさせていただいている。
♪村の渡しの船頭さんは、ことし六十のお爺さん、この歌の唄われたころは
健康保険も年金も無く病気になれば諦めて後は神頼みしかなく、歳を取って
働けなくなれば子供たちの世話になって人生を終えた。平均寿命は50歳にも
達していなかったが、今は人生80年時代の高福祉の老人天国、満悦至極だ。
江戸時代に大田蜀山人(1749 - 1823年)という戯作、狂歌漢詩を書いた
文人がいたが歴とした武士で、亡くなる寸前まで幕府方の勘定所幕吏として
働き続けて、仕事の学問吟味では主席を勤めたという。蜀山人の辞世の句は
「生き過ぎて75年食いつぶし限りしられぬ天地(あめつち)の恩」と詠った。
当時の平均的な寿命は40歳足らずで、それ以前に大抵は子供に後を継がせて
当人は隠居したものだが、蜀山人は亡くなる直前まで現役を貫き、狂歌、狂詩、
文章家として一流の作品を残したが長命のうえに充実の人生を全うしている。
長生きも幸せの一つだが、中身の密度が濃くなくては折角の人生が勿体ない。
一昨年鬼籍に入った久世光彦森繁久弥を描いた「大遺言書」のなかによると
1913年生まれの森繁は、孫が8人、曾孫が8人いるそうだが、各人の名前を
言い間違えることは殆ど無いという。役者稼業とはいえ若い頭脳には恐れ入る。
私は年中、6人の孫の名前を言い間違えて叱られているが恥ずかしいかぎりだ。
森繁久弥終戦後の満州の引揚者だが、いわく「テレビに見る世界の難民たちは
60年前の私たちの姿です。満州で途方にくれた難民でした。引き上げ列車はいつ
来るか分からない。老母と妻と子供3人抱えて砂塵の中に立ち尽くしていました。
ようやく無蓋列車に乗って走った時、愛犬コロが列車に轢かれそうになりながら
追ってくる。白い貧相な犬だったが、あれは神だった。でもいつしか見失った・」
森繁久弥は昭和の波乱万丈の時代に様々な体験をして今の栄光を勝ち得た人物だ。
長生きは素晴らしい。人生の充実はもっと素晴らしい。