隠居の独り言(848)

占守(しゅむしゅ)島の名を知る日本人は少ない。千島列島の最北端に位置する。
1945年8月15日の終戦時に島に日本の守備隊がいた。戦車部隊約23000人の
日本軍が無傷のまま島を守っていたが終戦後に国際法を無視したソ連軍が攻撃を
開始したのは戦後8月18日未明。武装解除の準備をした将兵は再び武器を取り
戦闘に臨んだが激しい戦闘は4日間に及び両軍合わせて2500人の死傷者が出た。
終戦後に起きたこの戦いを、作家・浅田次郎は小説『終わらざる夏』を執筆した。
戦闘後の占守島将兵はシベリアへ連行され強制的に長い抑留生活を強いられた。
共産主義者スターリンが日本軍捕虜50万人をシベリアで強制労働させるという
極秘指令を出したのは日本が降伏してから後の事で国際法からも絶対許されない!
満州は云うまでもなく千島や樺太など掘り起こさなければ埋もれてしまう歴史だ。
よく指摘されることだが日本では学校でも家庭でも歴史を語り継ぐ機会が少ない。
とくに現代史の部分で旧ソ連、現ロシアによる一方的な日ソ不可侵条約の破棄と
その後の対日軍事行動は日本が無条件降伏をしたにも拘らず続いた無慈悲な暴虐、
民間人への殺人、強奪、強姦事件、日本軍兵士のシベリア抑留は厳然たる史実だ。
一世紀前の日露戦争はどうだったか?乃木大将は水師営で敗軍の将ステッセル
武人として帯剣を許し戦った203高地に日露両軍の戦死者のため慰霊碑を建てた。
東郷元帥は福岡に「日本海海戦勝利記念碑」を建てる話があった時「祖国のため
戦死したロシア兵を思うと勝利の文字は使えない」と記念碑の二字を削除させた。
日本はロシア軍捕虜7万人余を日本の温暖の地に移送し手厚い医療や福祉を施し
戦後に全員をロシアに送還した。寮での献身的な看護婦に恋心を抱くロシア兵が
後を絶たなかったという。惻隠という言葉がある。すなわち敗者への思い遣りが
武士道の仁であり仏教の慈悲にも通じる日本人の精華といえる。勝敗は運であり
終われば兵士は互いの健闘を讃えるべきで戦争にも美学があって然るべきと思う!
ロシアは日露戦争敗戦の復讐のつもりだろうが、その蛮行は人間の行いではない!
ロシア人よ!恥を知れ!!