隠居の独り言(957)

人は、みな敵を持っている。敵は少ないに越したことはないが生きている限り
敵に包囲されているようなものだ。それに引き替えて味方が少ないのが現状で
この世はままならない。でも敵は味方より自分を成長させてくれるのは事実で
それには多くの強敵と戦ってきた経験が必要だが育った環境も大きく左右する。
次女の家に5人の孫がいるが食べ物やおもちゃ等の取り合いの喧嘩が絶えない。
ケーキを5等分しても、こちらが大きい、こちらのクリームが少ない、それが
原因でまた言い合いがはじまる。年齢や胃袋の大きさはどうする?きりがない!
つまり自分以外の兄弟全てが敵になっているが相手は総領も末っ子も関係ない。
5人の兄弟達はとくに努力がなくても競争に耐える力が自然に備わっていくが
長女の娘は一人っ子なので家には敵がいない。敵のいないことが幸せとすれば
一人っ子は恵まれている。食物を奪われることもなく玩具やTVも独占できる。
でもそれでいいのか?その状態で一生を送れるものならいいが世間は甘くない。
敵の存在無く育てられた子供は大人になって多くの危険や困難に耐えられない。
一人っ子や兄弟の少ない子供には試練を与える本当の愛情が必要となってくる。
平和主義は一見、美徳に捉えられるが本当の幸福は戦って克ち得たものであり
敵から逃げてばかりでは脆弱なダメ人間になってしまう。それは国家も同じだ。
政治は子育て支援の名目で多少の援助をするのが少子化対策のつもりだろうが
何の得にもならないどころか今の子供の将来に借金を背負わせるようなものだ。
子供を強い立派な大人に育てようと考えるなら経験として不幸、不自由、苦労を
与えないと意思と努力が育たない。自分が育った昭和の初めの頃は家々に兄弟が
大勢いて田舎も街も学校も子供が溢れていた。遊びにもガキ仲間にルールがあり
上下関係も仲間の信頼も社会のミニ版で自然発生的に大人への階段を登っていた。
「獅子は千尋の谷に子を落す」「可愛い子には旅をさせ」は今も昔も変わらない。
少子化対策とはお金より環境を育てる工夫が必要だが政治家には分かっていない。