隠居の独り言(1081)

昨年の東日本大震災の救済活動の報道や最中のロンドン五輪の日本選手の活躍などで
日に百も聞く言葉に「絆」と「仲良し」がある。「絆」という行動は昨年から駅前の近くで
東日本大震災献金箱を持った人が「被災者を救うための献金をお願いします」との
街頭募金をしているが果たして集められたお金がどのルートを通り何処へ行くのか?
駅前での献金箱に入ったお金がどこの場所で活用されたのか結果を聞いたことが無い。
被災者が大変だろうと無条件に無防備に或いは無償の行為として献金していたのなら
「絆」は弄ばれ甘えることの強制で、もしかして献金という名の詐欺と疑いたくなる。
本当に被災者のためなら国が率先して献金より寄付のほうがいい。欧米では寄付行為は
美徳であり税金面でも優遇されるが日本も欧米の制度を早急に取り入れるべきだろう。
「仲良し」のテーマも、およそそれに似つかわしくない人間のドラマが年中語られる。
好きだ惚れたで一緒になった夫婦も四分の一の結果は離婚でこれも氷山の一角だろう。
以前は仲良しだった兄弟姉妹も親が亡くなれば遺産を巡り骨肉の争いで、政界だって
先の選挙でトロイカ体制の仲良し三人組だった鳩山、管、小沢は今では袂を分けている。
そうなると「仲良し」という一種の信仰にも似た美しい言葉はいったい何だったのか。
日本人は仲良し大好きの国民性だが、水も平和も安全も同じように、いつでもどこでも
簡単に手に入るように思っている。絆も仲良しも水も空気も平和も毎日の暮らしの中で
最も難しく最も気遣うべきなのを知ろうとしない。つまり世間で只より高いものはない。
人と人でも国と国でも同じ事で夫婦も最初は仲良しでも生殖期間が過ぎれば冷めるし
国家間で領土問題を抱えていても会見で首脳達の笑顔で握手している情景は空々しい。
仲好きことを前提としているから腹が立つ。永遠の愛を誓った恋人も一緒に暮らせば
女はだらしない恰好で寝そべり、男は場所も弁えず女房の傍でも平気でオナラをする。
それは半端な好意で解釈するよりも仲の悪いことを前提に互いの行儀を考えることが
唯一の道であり「仲良し」の看板は下ろしたほうがいい。観光地などの楽焼コーナーで
野菜の絵を描き「仲良きことは美しきかな」と一筆加えて売っているのを見かけるが
あの絵を買って壁に掛けているお宅の家族は仲がいいのかなぁ・と余計なお世話だが
あれほど空虚な言葉はない。疑惑と多少の嫉妬をこめて・・