隠居の独り言(1168)

ラテン音楽の大好きな自分だが、幼い頃に聞き覚えた「小さな喫茶店」が原点だと思う。
♪それは去年のことだった、星の綺麗な宵だった、二人で歩いた思い出の小道だよ・・
小さな喫茶店に入ったときの二人は、お茶とお菓子を前にして、一言もしゃべらぬ・・
これはコンチネンタルタンゴだが瀬沼喜久雄という人が作詞して日本で大ヒットした。
戦前のヒット作で忘れてならないのはエノケンが歌っていた「伊達男」も素晴らしい。
♪俺は村中で一番、モボだと言われた男、自惚れのぼせて得意顔、東京は銀座へときた・
共通するのは欧米の歌を日本人好みの日本語訳にして流行させたことで歌詞がいかに
重要であるか、ヒットの分岐点になったのは言うまでもない。戦後はアメリカの歌を
日本語訳にリリースして中尾ミエ江利チエミ伊東ゆかりなどの歌手が世に生まれた。
それは作詞者の時代に乗ったセンスであり彼らが居なければ三人娘も存在しなかった。
それでも原曲の本来の意味と違った歌詞の多いのには多少の疑問はあるが日本語訳で
ヒットすれば歌詞が大手を振ってあたかもそれが本当の歌の意味と勘違いしてしまう。
シャンソンの大御所ピアフの「愛の讃歌」の歌詞は死別した恋人への心境を語っている。
「青い空が私達の上に崩れ落ちてくるかも知れないわ。地球が崩壊するかも知れないわ。
でも、あなたが私を愛してくれれば、そんなこと私にはどうでも良いの・・」とあるが
そのままだと歌えないので岩谷時子が作詞して越路吹雪が歌い、今では結婚式の定番だ。
まるで意味違いはコーヒールンバで1962年に西田佐知子(作詞:中沢清二)が歌った
♪昔アラブの偉い王様が・・で始まる歌の原曲はコーヒー豆を挽く労働者の嘆きの歌で
アラブの歌のように一人歩きしているが、歌詞の魔力は凄いものと妙に感心してしまう。
他に原詩と異なっても、なかにし礼の「知りたくないの」「別れの朝」など素晴らしい。
実は自分もラテンの名曲El Reloj(時計)に作詞し娘の結婚式で弾き語りしたことがある。
♪嫁ぎ行く娘よ、父のまぶたには、幼いあの頃の笑顔が浮かぶよ、嫁ぎ行く娘よ、
父の耳には幼いあのころの声がひびくよ、まぶしい娘よ、わたしの手から巣立ちの時が、
今やってきた、まぶしい娘よ、こころの中に幼い頃の思い出を、しまっておいておくれ、
しあわせになれよ。
・・花嫁の父を演じた役もさることながら、たまたま日本テレビ
「たけしの元気が出るテレビ」の目に留まり全国に放映されたことを夢のよう思い出す。
1995年のことだった。あれから18年、今の娘は子供5人に追われて暮らしている。