2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

愛知万博(5)

世界一広い国のロシア館には 鉱物資源や化石の展示が多く シベリアの昔の人の暮らしの 模様や、野生動物との関わり なども模型で説明されていた。 マンモス骨格標本には驚いた。 中央には宇宙船のレプリカが 置かれ宇宙技術を誇っている。 チェブラーシカの…

夏の終わりに(9)

「こずかたのお城の跡の草に寝て空に吸われし十五の心」 歌人石川啄木の 詩の中でも最も好きだった一句だが「一握の砂」は紙が擦り切れる位読んだ。 薄幸の人生だった啄木と相通ずる気がして、いっぱしの文学少年気取りで 詩を書いたり日記文を綴ったりした…

愛知万博(4)

スカンジナビア半島の国々の北欧館は そこに住む人々の生活用品や工芸品の 数々が展示され一年大半の長い冬の 生活の厳しさを垣間見る事ができる。 展示品も整然としていて見やすいし 家具や調度品は素敵なものが多い。 デンマークパンの喫茶店があったが 大…

夏の終わりに(8)

播磨平野は風光明美なうえ北に中国山脈が冬の寒さを和らいでくれ、南には 瀬戸内海があり気候は温暖で昔から農業、漁業が栄えて豊かな土地のせいか 人々の気風もよく暮らしやすい平野として江戸時代にも姫路は大藩だった。 住んでいた家からの遠望は屋島諸島…

愛知万博(3)

次に並んだイタリア館はさすがの感じで 館内は地中海のイメージでブルーの池に トレビの泉の感覚で投げ銭が入っている。 BGMには明るいカンツオーネが流れて 雰囲気は国の特性が出てなかなかいい。 チョコ塗り自動車フィアットが面白い。 イタリアの特産…

夏の終わりに(7)

戦中戦後の服装は男の人は国民服、女の人は着物にモンペを穿いていた。 下着は男は越中ふんどし、女はズロースで夏も冬も同じものを着て暮らした。 しかも国民服はカーキ色着物やモンペは黒っぽい地味な色合いがほとんどで まるでコピーされたようにどの町や…

愛知万博(2)

狙っていた人気パビリオンは諦めて 外国館の揃うグローバル・コモンを そぞろ歩き最初に入ったのはトルコ。 館内は暗いムードに設定されていて かつて栄えたオスマン・トルコの 古い歴史を想像させる工夫もあり アジア・ヨーロッパの接点にある 異国情緒がか…

夏の終わりに(6)

食糧難の一つの手段に買出しがあった。都会の人たちは食べるためには農家へ 直接、米や芋など買いに行って飢えをしのいだ。当時の食糧事情は一日三合の 配給米だが実情は月に20日以上が欠配していて無きに等しい配給切符だった。 お金の価値も超インフレで下…

愛知万博(1)

休日は孫たち連れて愛地球博に遊んだ。 ところがその日の入場者数25万人とか 最高の人出には参ったが入ってみると その広大さと、パビリオンの大きさは 想像以上のものがあって圧倒された。 有名な場所の待ち時間120分以上には あきらめ比較的空いているのを…

夏の終わりに(5)

残暑の中にヒグラシの鳴き声は夏の終わりを告げているような気がする。 蝉の姿を見ていつも思うのは食糧難のときにバッタやトンボなどと一緒に フライパンで炒って食べた記憶が自責の念にかられて虫に申し訳なく思う。 姫路へ越して間もなく鶏、猫、犬を飼っ…

二百十日

九月の初めは立春から数えて二百十日。 最近では死語のようになってしまったが 昔は台風襲来の特異日として恐れられた。 折から台風13号は沖縄先島諸島を襲い 史上最大のハリケーンはアメリカ南部に 多大の人的被害を残して去っていった。 世界に冠たるア…

夏の終わりに(4)

1946年の姫路の夏も暑い日が続いていた。八月の焼くような荒々しい熱気は 長旅で疲れ果てた祖母の体には無情にも容赦なく刃を突きつけるようだった。 奈良生まれの70歳の祖母は関西に帰ってホットしたのか着いた翌日倒れた。 突然に意識不明になり全身が赤く…

防災の日

今日、墨田区の震災祈念堂では 1923年9月1日の正午に起きた 関東大震災の日で賑わっている。 「震災は忘れた頃にやってくる」は なによりの教訓だが、あの日から 82年で平穏の賞味期限はもう無い。 その前の安政の大地震は1854年で 約70年の蓄積が崩れたわけ…